千葉県スルーネットピンポン協会の歩み

「スルーネットピンポン」は、平成元年、山梨県において産声をあげ、誕生したスポーツです。  昭和61年、山梨県にて開催された「第22回全国身体障害者スポーツ大会ふれあいのかいじ大会」を契機に、「山梨県盲人卓球クラブ」が発足しました。そして、その活動拠点を山梨県ボランティアセンターに置き、練習会を行う中で、高校生ボランティアサークル「SKY」との運命的な出会いがありました。相互に交流親睦を深めるうち、マイナーなイメージの強い『盲人卓球』は、試行錯誤を繰り返して、対象者をオープン化し、年齢や障害の有無を問わず、誰もが参加でき、かつ同一ルールのもとにプレイできるスポーツとして、明るく一新されました。
「盲人卓球」の歴史は古く、その起源は明確ではありませんが「世界盲人世界事典」によると、1933年(昭和8年)の帝国盲教育研究大会にて、栃木県足利盲学校長の沢田正好氏が、視覚障害者の神経の働きや体の動き、感覚訓練のリハビリの一つとしての側面ももつ盲人卓球を考案、発表し、このルールが現状のものとほぼ同一であったことからみて、沢田氏が盲人卓球の創案者であるとされています。
スルーネットピンポン協会の歩みとしては、平成元年に山梨県スルーネットピンポン協会(YSP、同様に千葉県スルーネットピンポン協会(CSP)も発足しました。他県にも協会ができてきています。平成3年・4年には、千葉において、当協会主催による、関東大会を開催しました。その後、平成7年に全日本スルーネットピンポン協会(JSPA)が発足し全国に普及すべく活動しております。
この卓球の特徴は、視覚障害者は空間でボールをとらえることが不十分なため、視覚認知の代わりに聴覚を利用した平面での競技であること、すなわち、すべてボールは台上を転がし、ネットの下を通して打ち合うゲームであることが挙げられ、この点が一般の卓球と大きく異なります。ボールを転がして競技を行う性質上、ボールがあまり弾まないことと、聴覚認知しやすいように、一般に使用されているピンポン球の中に、小さな鉛の球を入れるといった工夫がされており、ラケットについても、ラバーの付いたもので打球すると、打球音が吸収され聴覚認知が難しくなってしまうため、ラバーは付けずに、木部分を打球面として使用する工夫がされています。また、卓球台の両サイドにフレームを取り付け、落球を一定限度制限し、ネットのサポートは台上に出ないような工夫もされています。更に、一般卓球のテーブルは二つ折りとなり、少スペースに格納できますが、この卓球のテーブルは二つ折りだと中央の継ぎ目に段差を生じてしまい、打球がそれらによってイレギュラーするため、継ぎ目のない一枚の板で造られています。 世界的には、オーストラリアに「SWISH」と呼ばれるよく似た競技があること、また、1981年(昭和56年)に滋賀県で開催された「国際障害者年記念第16回全国身体障害者スポーツ大会」には、東南アジアの女子選手がこの競技に出場していることからみて、形は異なっても、本質的に類似したものが行われていると考えられます。
この『スルーネットピンポン』の目的は、軽スポーツとしての競技性の向上と、競技人口の増大は勿論のことですが、ただそれだけに留まるのではありません。初心を忘れず、健常者も障害者も、また、年少者から高齢者まで同一ルールにてプレイできるという意義に、大きな共感を得たこの規則を堅持し、「バリアフリースポーツ」として、社会においても、様々なフェンスを除去し、いつ、どこでも、誰もが明るく生き甲斐の持てる社会の実現を目指すことにあります。 お問い合わせはこちらへ
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